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この四代目クラウンに父が乗っていました。黒のボディでいつもピカピカにしていました。ドライブに行ったり、一緒にワックス掛けをしてホント楽しかった!! ずい分長く乗っていましたがある時売ってしまいました。理由を聞くと下校中の小学生に「霊柩車みたい」と言われたのがショックだったみたいですWWW
この車を教訓に五代目からは保守路線を走り130系で完成形とはなりましたがこの車がヒットしたらまた違うクラウンの歴史があったのかと思うと興味深いです。
クジラクラウンは子供の頃ミニカーを持っていましたが、シトロエンSMの次に好きなクルマでした今でもこのスタイリングは好き時代の流行り廃りで評価されちゃったんですよね
クジラクラウンの4ドア 親類の方が乗ってました・・・たまに 乗せてもらいました。しばらくして クジラの2ドアHTに乗り換え。これも 乗せてもらいました・・・後部座席 予想より広かった・・・ブタケツローレル2ドアHT並みに。この2ドアHT 今は 置き古しで約35年ぐらい・・・わりと綺麗な状態(室内保管)・・親類の方 レストアに向けて・・・進行中
クジラクラウン、何故か今時の若い人達に人気がある。勤務先の若い女の子がかっこいいと言っていた
ブタはローレル……クジラ、今見てもカナリイイけどなぁ?ってか、オラが幼稚園児くらい(1980年ごろ)には、もう殆ど見かけなかったように思いますけど、タマに見かけると、おお!!ってなる車ではありましたよ。しっかし、1980年代、ギリ90年代前半くらいまでは、まだ、デザインが行きつく所に行きついて無かったから、各社、個性の有る車づくりしてましたよね。今は、どこのメーカーの車か?すら、パっと見、解らないんですよ。
ブタケツ=ゆっくりはしっていってね!!!
発売当時中学2年生、好きだったな!大人になったら絶対買いたいと思い、30歳の時5年ほど乗りました。当時でも評判良かったね。
昔の月9(78〜80)の大空港のメインスタントカーでした。クジラクラウンが大量破壊してました。
子供の頃近所の人が2600スーパーサルーン、別の人がワゴンに乗っていましたので、この「クラウン」が一番好きです。
トヨタとしては今でも歴史上で引き摺ってる感がある4代目「クジラ」クラウンですね。待ってました🎉うちの地元は地方なのでクラウンはお父さん方にとっての憧れでありましたのでクジラは・実はよく観たんですよ。まあ中古が安かったからなんですが。世代的には今後ご紹介予定?の六代目、いわゆる鬼クラが発売される辺りです。ちょうど車齢10年越えて1年車検に突入する前に格安で買ってくるんですよ。やっぱり前期のカラードバンパーは格好いいんですが、後期のメッキバンパーも嫌いではないですよ。それともう一つ。このクジラクラウンは女性受けが良かったんですよ。当時の御姉様方ですからいまだとまあ、ねえ。年の話は由として。ご近所さんですがね。自分の連れ合い(旦那)がクジラクラウンから当時は430セド/グロと覇を争ってた鬼クラに乗り換えしたんですがそこのばあちゃんは「何か仏壇みたいだねぇ、前の車の方がおしゃれだったのに。」大正産まれのおばあちゃんの話でございました。
現行型を初めてみた時「これってクジラ型の亡霊?」と思いました。
一方、この時期のトヨタはなにかにつけてGMのまねっこばかりしてました。特にクラウンのシャシー形式はキャデラックの後追いばかりしていると有名。GMはデザイン的にはこの時期ボディとツライチになるようなバンパーがお気に入り。メッキバンパーでしたがオールズモビル・トロナードなんかほとんどボディの一部でした。それに追従してしまったんですね。今の樹脂バンパーならば、ちょっと当てたくらいだったら、へこんでもどってなんともないですが、この時期の金属バンパーで、しかもデザイン優先でボディとのスキマがほとんどなかった。これではちょっと当てただけで、フェンダーまでいってしまいすぐ板金送りになる。というのでタクシーをはじめ法人需要が一斉に逃げたんだと聞きました。でも、私は日産のほうのフアンなんだけど、このクラウンのデザインには完全に負けたと思いましたよ。それくらい当時の街中の風景の中ではひとりだけ飛び抜けて見えました。
『クジラ🐋』『二重アゴ』などと渾名が付いた4代目クラウン。カラードバンパーだったのをメッキバンパーに変更するなど今では考えられないマイチェンをしていた。『スピンドルシェイプ』は当時の『マークⅡ』『セリカ』に通ずるものがありましたね。水原弘さんの歌う「♪男盛りさ〜 おぉ~クラウン。」のCM曲は名曲です。フォルムやフロントフェイスが『ナガスクジラ』っぽい現行クラウンは『現代のクジラ🐳クラウン』だと思います。
クジラクラウンの2600は終始キャブレター仕様のみで、EFIが採用されたのは2000スーパーサルーンの後期型のみだった記憶があります。これは当時は3ナンバーの税金がバカッ高かった上、ターボ技術も確立されていない中、5ナンバーで2600に匹敵する性能を得る、苦肉の策だったようなイメージがありました。因みにクジラクラウンには未だロイヤルサルーンはなく、スーパーサルーンがトップグレードでした。
今見るとカッコいいですね。今のオオサンショウウオも好きになるかも。
この四代目が出た時は小学校に入った頃でしたが、子供心にも未来から来たようなインパクトがありましたよ。カッコイイと思いましたけど…
これはトヨタクラウンの4代目モデルクジラクラウンですね。よく見かけましたね。なかなかかっこいいですね。私はトヨタクジラクラウンのデザインが大好きです。ちなみに私がこの車が現役の時に若かったら運転したい車です。
このクジラクラウンは、太陽にほえろ❗で、最初に登場したクラウンです。ちなみに、山村聡さんは後期型じゃなく、前期型の途中からのCM出演でした。吉永小百合さんは、後期型からです。
エレガンツ・クラウン
どうもこんばんは今回はトヨタクラウン四代目通称クジラクラウンですね。良く見かけましたけど、太陽にほえろ!とかで見かけました。世間的には不人気でしたが、でも私はそんなことないですよ。スピンドルフラインで素敵ですよ。私は四代目クラウンのデザインが大好きです。もし私がこのクラウンが生産していて販売している頃に若かったらタクシーの仕事で運転したい車ですね。自家用で所有してるかも、
大昔の我が家のマイカーが3代目と4代目のクラウンの中古車でコラムシフトでした4年乗った3代目は一度も故障がなかったんですが、クジラは夏の田舎の坂道で2度オーバーヒートし車検を迎えることなく新車のファミリアになりました。
現行型クラウンの発表会でも、モリゾーさんが少し先を行き過ぎていたと話されていましたね。子供の頃、ギリギリ絶滅前にセダンを見た記憶がありますが、素直にかっこいいと思いました。その頃は、鬼クラ全盛期だったので、このスマートなデザインに惹かれましたが、日本人デザイナー作だとは考えていませんでした。この型の霊柩車も見たことがありますが、悪くなかったですよ。
7:13230型はスタイルもさる事ながら日本初の4HTを追加したりとイケイケだった。
赤ちゃんの頃、クラウンって覚えたのがこの4代目クジラクラウンでした。私が生まれた頃は、前期型でしたね
私が免許を取る時教習所に通っていたとき、クジラが途中から新型として入って来ました、やっぱり二段ボンネットはやりにくかったように思います、卒検は旧型でしたので何とかなりました。
このモデルのクラウンはライトバンのデザインが好きだったな
カッコいいと思いますけどね(特にクーペ)もろちん当時の空気は知らないけど史上最大の失敗作呼ばわりは可哀想🤗
実は女性には人気あったんですよ。当時の男社会では言えなかったかも・ですが。
デビュー直後には結構売れていたようです。その年の夏のオーバヒート頻発が失速の原因のようです。72年のCMの車両のナンバーが71-75だったことから、当初は1975年まで生産するつもりだったのだろうな、と推察しています。
このクラウンは刑事ドラマ等でカースタントに用いれられ破壊されてた印象が強い・・破壊の無かったドラマも有りフランキー堺氏が主演の赤かぶ検事奮戦記(星野知子氏と小倉一郎氏が共演されてたシリーズ)では赤かぶ検事が自宅から地検迄の送迎の公用車として後期型で黒色の4ドアセダンが劇中で使用されてましたね。
赤かぶ検事奮戦記&藤田まことの京都殺人案内で使用された後期黒セダンや前期白パトは京都松竹の現代劇の予算があんまりらしく白パトは1985年にジャパンスカイライン4気筒車に置き換えるまで使用されました。PS.後期セダンは赤かぶ検事浜松編まで使用されました。しかも白パトは置き換えたばかりのジャパンとの最初で最後の共演😊
このクラウン、うちでも乗っていました。フロントのデザインは今のハンマーヘッドシャークに近いものがあるかなと思います。ちなみに給油口はリヤに付いているんですよね。
声楽家・バリトン歌手の友竹正則さん、俳優の田中浩さんがCMに起用されたのがこの4代目クラウン。当時としては、極めて斬新なフォルムである貴重なクラウンであろう。
販売期間が3年半だったのは不人気のあまりモデルチェンジの予定を前倒ししたというより、当時のトヨタ車は殆どが、3年半毎にフルモデルチェンジしていました。大人気だった先代MS50系も、生産期間は3年半です。基本的に前期型は1年半作り、中期型は1年、後期型は1年の計3年半という間隔でした。そんな中、クラウンだけは前期型は2年、後期型は1年半で計3年半という間隔でした。当初の計画通りの販売期間だったはずです。ただ1975年を挟んだトヨタの各モデルは5年間作られています。これは同年の排気ガス規制に適合させるべく、トヨタはてんやわんやな次期だったので、この時期に限り5年間隔になっています。そしてそれ以降は4年毎の間隔に、落ちつきました。ただ1990年代半ばぐらいからは、6年ぐらいの間隔に延びています。
フロント周りのデザインは68~70年Ford thunderbirdのデザインをかなり意識した形状ですね。自身の友人が最初に乗った車が当時12年落ちだったクジラでしたが 乗ればやはり高級車クラウンだなと思いましたよ。今の目で見たらカッコいいデザインだと思います
当時は?だったのかもしれませんが、今ならば十分に通用するデザインですね。個人的には後期モデルの角形タルボミラーよりも、オーナーデラックスやスタンダードの平形ミラーが好きですね。
バブル期以前の日本車のデザインは、1960年代後半はイギリス車、1970年代はアメリカ車の影がちらほらという感想を持っています。輸出も考えると輸出先で受け入れられるデザインにする必要もあったのでしょうけど。
メーカーによって影響受けた相手が違うと思いますよ。例えばランドクルーザーは打倒ランドローバーでしたし。クラウンはどうですかね?初代は51年辺りのシボレー2代目は60年のフォードファルコン3代目は64年のシボレー(インパラ)で、この4代目はズバリ68年のサンダーバードだと思います。当時、世界中がアメリカ車のデザインを取り入れてましたから、寧ろトレンドを取り入れたと判断して良いかと。クラウンは2ドアクーペの格好良さは今でも凄いと思います。ソアラの初代が発売された時、一部のマニアは「古臭い」と評したと聞いてます。
自分が以前付きあった彼女がこのクジラ・クラウンがお気に入りでした✨
昔、大学に通っていたとき、この型のパンが信号で並んで、若い女の子二人組がニコニコしながら運転していたな。ポニテの女の子とクジラパンの組み合わせが妙にかっかにかっこよかったです。あの当時でも、平成に入ってたからね。すでに珍しい存在だったと思う。
デザインはいまでも通用すると思うがさすがに中身は時代を感じます。
我々クラウンを売ってた側は当時はナマズでしたが、何時の頃からか、クジラに変ってましたね。よくカラードバンパーをメッキに出しましたね。2年目の車検時にバイパスホースを変えないとその年の夏にホースがパンクしオーバーヒートしました。何故か私が住んでる地域はバンよりワゴンが売れる地域でした見栄も有るんでしょうね。
8:50 山村聡さん単独で前期末期から再登板されてるぞ。『やぁ、クラウンの山村です』
CMは山村総さんと吉永小百合版のイメージが強いが、田中浩、真屋順子版があったのが珍しかった😂🎉
懐かしいです。この4代目クラウンで自動車運転教習を受けました。確かに前後特に前角は見切りは無茶苦茶悪かったので、教習教官達はほぼ全員が見切りの仕方を懇切丁寧に教えてくれたのが思い出ですし、そのお陰で今でも見切りが楽に出来ていますね。この車を教習所ではじめて目の当たりにした印象は「なんじゃこのウインカーの一段落としは…なんか垢抜けしないなぁ」と思ったことでしたよ。
こんばんは、横から失礼いたします。先日亡くなった父が若かりし頃、当時勤めていた職場の偉い方を送迎するのにクジラクラウンと2代目マークⅡを運転していたそうなのですが、ボディの見切りが悪くて前端&後端を何度か擦ってしまい始末書を記した事があったと話していたのを思い出しました😅
僕が幼少期の頃、叔父が乗ってました(後期型の2000スーパーサルーン、コラムシフト)M型6気筒キャブレター独特の排気音は、今でもハッキリ覚えてます。「一度で良いから、ステアリングを握ってみたい!」1台です
子供の頃のタクシーのイメージですね
24秒に映ってる前期スーパーサルーンはオーバヒート対策した1972年製かな?
アメ車好きな自分には2ドア ハードトップはカッコいいと思う👍
少なくとも今見ると格好良い当時のクルマ、今見るとダサいものばかりだが、これな今見ても良い
昔、就職して最初の会社の社用車がクジラクラウンのワゴンでした。運転すると直進性に問題がありフラフラ走るので運転して疲れました。
0:02 クジラガレージですね。
クジラの2ドアは80年代初頭には捨てるような車だったので、グラチャン族の間でこれを拾ってきてシャコタンにして屋根を切るのが流行った。フレーム構造だから、屋根を切ったところでちゃんと走るってのがベース車の強味だったのだろう。当時はその手の集まりがあればどこへ行ってもクジラのオープンがいたから、あれで少なからず台数は減った筈だ。
確かにデザインは良かったんですが?タクシー🚕は夏場になると前期型は、ボンネットキャチのロック🔐を外して浮かしてました。子供の時に乗った運転手さんがオーバーヒートがすごいのよ。って言ってました。なのでおじさんは、その前のスーパーDXを次の型が出るまで乗ってました。
四代目クラウン[通称くじら]は世間的には不評だったみたいやけど俺は其れこそクラウン[高級車]と思って居ます
子供の頃はセダンはカッコいいと思ってましたね。1度だけクジラのタクシーに乗った記憶があります。ミニカーも持っていたなぁ。だけど重役を乗せたりタクシーが主な需要の車なのにオーバーヒート多発って…開発時の耐久試験もろくに行っていなかった訳で…、今では考えられないほど当時のトヨタは雑だったんですね。
2代目コロナのどSCMを忘れたのでしょうか😅
クジラクラウンのトミカ、まだどっかに有った気が…σ(ಠ益ಠ;)
このモデルは竹野内豊が主演した素敵な選TAXIで使用していた。
このモデルは商業的には芳しくなく、ライバル230セドグロに凌駕されていましたが、歴代モデルの中でも数多い新しい技術を盛り込み、カラードバンパーや現在のABSなど盛りだくさん。刑事ドラマ「大空港」では、ライバル230とスタントで活躍。クジラクラウンの丈夫さを披露してましたね。
確か、日本で初めて尾灯とブレーキランプを独立させたテールランプ と自動式ラジオチューナー(運転席足元で操作する)、イグニッションキー抜き忘れ警告音を採用してましたね。
@@akirayuuki9100 夜になるとリアコンビライトの輪郭部分だけがテールライトとして長方形に光ってて、ちょっと不思議な感じがしましたね。
このクラウンのABSは後輪のみの簡易型で、本格的な4輪ABSは11年後にデビューして大ヒットした2代目プレリュードからの採用でしたね。
年月が経ってから再評価された車の元祖がクジラクラウンのような気がする
このクジラクラウン・カスタム格好いいんだよ。リヤゲートが、1枚になったのが残念だったけど・・・「次回はブタ?」ってケツなのかハナなのか?
次はブタケツローレルか
4代目クラウン、昭和49年式セダンが最初に買った車でした。もちろん中古で…10年くらい前にドラマ「素敵な選TAXI」に登場した際はちょっと涙出た(´;ω;`)ウッ…
初代コースター、初代セリカと「ビルトインカラードバンパー」(セリカは正確にはOPでしたが‥) のデザインをクラウンにも持ち込み、カーデザインの主流になるかと思われましたが結果はご存じのとおり。むしろESV(実験安全車)を端緒とする衝撃吸収バンパーを突き出したデザインが身内の100系コロナやセリカLBで採用され、70年代はその流れが他社へも波及していくのでした。
クジラクラウン、個人的には大好きなんですが、タクシーに使われることを考えると全車カラードバンパーはやり過ぎでしたね。セリカも含め、衝撃吸収性のある樹脂でなく鉄製でぶつけるとボコボコになるのも不味かった。販売不振は、傷付きやすい、オーバーヒート、取り回し等スタイルそのものより他の要素が大きかった気がします。材料のことも考えると10年早かったのかも知れません
ド田舎は新型クラウンはまだ…見ない😅
僕にとってはクラウンといえば真っ先に目に浮かぶのはこのクジラクラウン。通学路の県道で、ちょうど国産乗用車の車種を言い当てるのが流行っていたころの時代。あと、太陽にほえろ!でよく出ていたので子供ごころに刷り込まれた印象が強い!乗ってる人はたいてい「社長さん」だと思ってたナ(笑)
カラードバンパー&メッキバンパーは、どう言う意味ですか?
トヨタが言う失敗って、台数的に結構レベルが高い所にあった上での失敗だよなぁって。タクシーを含む法人需要も併せて290,000台/44ヶ月で約6600台/月、他社の平均的な車なら月3000台売れれば安泰って感じでしょうから、充分な売れ行きに感じます。
クジラ・・・好きなんだけどな?
クジラクラウンは確か、タレントのケンドーコバヤシが愛車として所有してなかったっけ?
私もそう聞いていますよ。ケンコバさんより3つ下の48歳です。
昔〜1996年にタイに旅行に行ったら〜前期のクジラクラウンが大量にいた~売れないから〜押し付けた~?
鉄板製カラードバンパーについては、樹脂製のような柔軟性はないものの、凹んでも板金塗装すれば良く、あながち悪くはないと思います。メッキバンパーの方が、そっくり交換するか、鈑金後、一旦メッキ工場に送って再メッキしなければならず、むしろ面倒かもしれません。
ボンネットが二段だったので見切りが悪く、タクシードライバーからは不評だったらしい。
「太陽にほえろ」でボスが乗ってた?
少なくとも今ならカッコイイと称賛されるデザインだと思う。デザインの良し悪しと、そのデザインが受け入れられるか否は別の話で、だからこそデザインは難しい。最近だとデリカミニがデザインの良さで売れているけど個人的にはekクロススペースだって負けていなかった、否むしろ後年に今から見るとekクロススペースの方がカッコ良くね?なんて言われる時代すらやって来るのではないかと思っている。デザインは頑張っても成果が得られるか分からないのが辛いところ。だからスバルはエクステリアデザインを良くする事を放棄しちゃったし。
新型NBOXも後々評価されるような気はする。次は少しデザインの揺り戻しが起きるような気がする。(新型の販売次第では)
クジラクラウンは前期型が好きです。理由はわかりますが、マイナーチェンジでかっこよさが半減に。残念でした。
エラく売れてた気がする。タクシーも多かったし、かーなり見ました。
この代から姓がTOYOTAになりました
それまでは?
@@minami4513 TOYOPETでした。
@@NABE2023-i9d ありがとうございました。
カラードバンパーの奔り
カスタムが一番格好いいんだけど、テールゲートが、ただの一枚の上ヒンジになったのが残念。クラウンまでコストダウンする、トヨタの貧乏臭さ・・・
代々クラウンを乗り継いでいた亡き父もさすがに4代目クラウンには手を出さなかった。
法人需要は、どう言う意味ですか?
タクシー、ハイヤー、教習車、パトカーなどの個人所有以外の用途で業務メインの需要です。
カッコいいのはこのモデルまで。 後は欲しいとは思わない。
リアのデザインは良いと思うんだが、確かにフロントマスクがなぁ…個人的には、一部で「世界一醜い車」とも言われるフィアット・ムルティプラにも通じる感じがしたムルティプラも車の素性は割と評価が高かったけど、見た目の評価が最悪で全然売れなかったし、これも同じような感じなのかなと思った
4代目はミニカーを持っていた。 そしてモデルチェンジされた5代目を正直ダサいと感じた。それはゼロクラウンまで変わらなかった。
黄色とオレンジのタクシー仕様が好きだった。コタツの中で遊ぶのが好きだった。(笑)コタツの中に置くと色が変わって綺麗だったから。
当時まだ子供やったけどこのクラウンはブサイクやったな
この四代目クラウンに父が乗っていました。黒のボディでいつもピカピカにしていました。ドライブに行ったり、一緒にワックス掛けをしてホント楽しかった!! ずい分長く乗っていましたがある時売ってしまいました。理由を聞くと下校中の小学生に「霊柩車みたい」と言われたのがショックだったみたいですWWW
この車を教訓に五代目からは保守路線を走り130系で完成形とはなりましたがこの車がヒットしたらまた違うクラウンの歴史があったのかと思うと興味深いです。
クジラクラウンは子供の頃ミニカーを持っていましたが、シトロエンSMの次に好きなクルマでした
今でもこのスタイリングは好き
時代の流行り廃りで評価されちゃったんですよね
クジラクラウンの4ドア 親類の方が乗ってました・・・たまに 乗せてもらいました。
しばらくして クジラの2ドアHTに乗り換え。
これも 乗せてもらいました・・・後部座席 予想より広かった・・・ブタケツローレル2ドアHT並みに。
この2ドアHT 今は 置き古しで約35年ぐらい・・・わりと綺麗な状態(室内保管)・・親類の方 レストアに向けて・・・進行中
クジラクラウン、何故か今時の若い人達に人気がある。勤務先の若い女の子がかっこいいと言っていた
ブタはローレル……
クジラ、今見てもカナリイイけどなぁ?
ってか、オラが幼稚園児くらい(1980年ごろ)には、もう殆ど見かけなかったように思いますけど、タマに見かけると、おお!!ってなる車ではありましたよ。
しっかし、1980年代、ギリ90年代前半くらいまでは、まだ、デザインが行きつく所に行きついて無かったから、各社、個性の有る車づくりしてましたよね。
今は、どこのメーカーの車か?すら、パっと見、解らないんですよ。
ブタケツ=ゆっくりはしっていってね!!!
発売当時中学2年生、好きだったな!大人になったら絶対買いたいと思い、30歳の時5年ほど乗りました。当時でも評判良かったね。
昔の月9(78〜80)の大空港のメインスタントカーでした。クジラクラウンが大量破壊してました。
子供の頃近所の人が2600スーパーサルーン、別の人がワゴンに乗っていましたので、この「クラウン」が一番好きです。
トヨタとしては今でも歴史上で引き摺ってる感がある
4代目「クジラ」クラウンですね。待ってました🎉
うちの地元は地方なのでクラウンはお父さん方にとっての
憧れでありましたのでクジラは・実はよく観たんですよ。
まあ中古が安かったからなんですが。
世代的には今後ご紹介予定?の六代目、いわゆる鬼クラが
発売される辺りです。ちょうど車齢10年越えて1年車検に突入する前に格安で買ってくるんですよ。
やっぱり前期のカラードバンパーは格好いいんですが、後期のメッキバンパーも嫌いではないですよ。
それともう一つ。このクジラクラウンは女性受けが良かったんですよ。当時の御姉様方ですからいまだとまあ、ねえ。年の話は由として。
ご近所さんですがね。
自分の連れ合い(旦那)が
クジラクラウンから当時は
430セド/グロと覇を争ってた
鬼クラに乗り換えしたんですが
そこのばあちゃんは
「何か仏壇みたいだねぇ、前の車の方がおしゃれだったのに。」
大正産まれのおばあちゃんの
話でございました。
現行型を初めてみた時「これってクジラ型の亡霊?」と思いました。
一方、この時期のトヨタはなにかにつけてGMのまねっこばかりしてました。特にクラウンのシャシー形式はキャデラックの後追いばかりしていると有名。GMはデザイン的にはこの時期ボディとツライチになるようなバンパーがお気に入り。メッキバンパーでしたがオールズモビル・トロナードなんかほとんどボディの一部でした。それに追従してしまったんですね。
今の樹脂バンパーならば、ちょっと当てたくらいだったら、へこんでもどってなんともないですが、この時期の金属バンパーで、しかもデザイン優先でボディとのスキマがほとんどなかった。これではちょっと当てただけで、フェンダーまでいってしまいすぐ板金送りになる。というのでタクシーをはじめ法人需要が一斉に逃げたんだと聞きました。
でも、私は日産のほうのフアンなんだけど、このクラウンのデザインには完全に負けたと思いましたよ。それくらい当時の街中の風景の中ではひとりだけ飛び抜けて見えました。
『クジラ🐋』『二重アゴ』などと渾名が付いた4代目クラウン。
カラードバンパーだったのをメッキバンパーに変更するなど今では考えられないマイチェンをしていた。
『スピンドルシェイプ』は当時の『マークⅡ』『セリカ』に通ずるものがありましたね。
水原弘さんの歌う「♪男盛りさ〜 おぉ~クラウン。」のCM曲は名曲です。
フォルムやフロントフェイスが『ナガスクジラ』っぽい現行クラウンは『現代のクジラ🐳クラウン』だと思います。
クジラクラウンの2600は終始キャブレター仕様のみで、EFIが採用されたのは2000スーパーサルーンの後期型のみだった記憶があります。
これは当時は3ナンバーの税金がバカッ高かった上、ターボ技術も確立されていない中、5ナンバーで2600に匹敵する性能を得る、苦肉の策だったようなイメージがありました。
因みにクジラクラウンには未だロイヤルサルーンはなく、スーパーサルーンがトップグレードでした。
今見るとカッコいいですね。今のオオサンショウウオも好きになるかも。
この四代目が出た時は小学校に入った頃でしたが、子供心にも未来から来たようなインパクトがありましたよ。カッコイイと思いましたけど…
これはトヨタクラウンの4代目モデルクジラクラウンですね。よく見かけましたね。なかなかかっこいいですね。私はトヨタクジラクラウンのデザインが大好きです。ちなみに私がこの車が現役の時に若かったら運転したい車です。
このクジラクラウンは、太陽にほえろ❗で、最初に登場したクラウンです。ちなみに、山村聡さんは後期型じゃなく、前期型の途中からのCM出演でした。吉永小百合さんは、後期型からです。
エレガンツ・クラウン
どうもこんばんは今回はトヨタクラウン四代目通称クジラクラウンですね。良く見かけましたけど、太陽にほえろ!とかで見かけました。世間的には不人気でしたが、でも私はそんなことないですよ。スピンドルフラインで素敵ですよ。私は四代目クラウンのデザインが大好きです。もし私がこのクラウンが生産していて販売している頃に若かったらタクシーの仕事で運転したい車ですね。自家用で所有してるかも、
大昔の我が家のマイカーが3代目と4代目のクラウンの中古車でコラムシフトでした
4年乗った3代目は一度も故障がなかったんですが、クジラは夏の田舎の坂道で
2度オーバーヒートし車検を迎えることなく新車のファミリアになりました。
現行型クラウンの発表会でも、モリゾーさんが少し先を行き過ぎていたと話されていましたね。
子供の頃、ギリギリ絶滅前にセダンを見た記憶がありますが、素直にかっこいいと思いました。その頃は、鬼クラ全盛期だったので、このスマートなデザインに惹かれましたが、日本人デザイナー作だとは考えていませんでした。
この型の霊柩車も見たことがありますが、悪くなかったですよ。
7:13
230型はスタイルもさる事
ながら日本初の4HTを追加
したりとイケイケだった。
赤ちゃんの頃、クラウンって覚えたのがこの4代目クジラクラウンでした。
私が生まれた頃は、前期型でしたね
私が免許を取る時教習所に通っていたとき、クジラが途中から新型として入って来ました、やっぱり二段ボンネットはやりにくかったように思います、卒検は旧型でしたので何とかなりました。
このモデルのクラウンはライトバンのデザインが好きだったな
カッコいいと思いますけどね(特にクーペ)
もろちん当時の空気は知らないけど史上最大の失敗作呼ばわりは可哀想🤗
実は女性には人気あったんですよ。当時の男社会では言えなかったかも・ですが。
デビュー直後には結構売れていたようです。その年の夏のオーバヒート頻発が失速の原因のようです。
72年のCMの車両のナンバーが71-75だったことから、当初は1975年まで生産するつもりだったのだろうな、と推察しています。
このクラウンは刑事ドラマ等でカースタントに用いれられ破壊されてた印象が強い・・破壊の無かったドラマも有りフランキー堺氏が主演の赤かぶ検事奮戦記(星野知子氏と小倉一郎氏が共演されてたシリーズ)では赤かぶ検事が自宅から地検迄の送迎の公用車として後期型で黒色の4ドアセダンが劇中で使用されてましたね。
赤かぶ検事奮戦記&藤田まことの京都殺人案内で使用された後期黒セダンや前期白パトは京都松竹の現代劇の予算があんまりらしく白パトは1985年にジャパンスカイライン4気筒車に置き換えるまで使用されました。PS.後期セダンは赤かぶ検事浜松編まで使用されました。しかも白パトは置き換えたばかりのジャパンとの最初で最後の共演😊
このクラウン、うちでも乗っていました。フロントのデザインは今のハンマーヘッドシャークに近いものがあるかなと思います。ちなみに給油口はリヤに付いているんですよね。
声楽家・バリトン歌手の友竹正則さん、俳優の田中浩さんがCMに起用されたのがこの4代目クラウン。当時としては、極めて斬新なフォルムである貴重なクラウンであろう。
販売期間が3年半だったのは不人気のあまりモデルチェンジの予定を前倒ししたというより、当時のトヨタ車は殆どが、3年半毎にフルモデルチェンジしていました。
大人気だった先代MS50系も、生産期間は3年半です。
基本的に前期型は1年半作り、中期型は1年、後期型は1年の計3年半という間隔でした。
そんな中、クラウンだけは前期型は2年、後期型は1年半で計3年半という間隔でした。
当初の計画通りの販売期間だったはずです。
ただ1975年を挟んだトヨタの各モデルは5年間作られています。
これは同年の排気ガス規制に適合させるべく、トヨタはてんやわんやな次期だったので、この時期に限り5年間隔になっています。
そしてそれ以降は4年毎の間隔に、落ちつきました。
ただ1990年代半ばぐらいからは、6年ぐらいの間隔に延びています。
フロント周りのデザインは68~70年Ford thunderbirdのデザインをかなり意識した形状ですね。自身の友人が最初に乗った車が当時12年落ちだったクジラでしたが 乗ればやはり高級車クラウンだなと思いましたよ。今の目で見たらカッコいいデザインだと思います
当時は?だったのかもしれませんが、今ならば十分に通用するデザインですね。個人的には後期モデルの角形タルボミラーよりも、オーナーデラックスやスタンダードの平形ミラーが好きですね。
バブル期以前の日本車のデザインは、1960年代後半はイギリス車、1970年代はアメリカ車の影がちらほらという感想を持っています。輸出も考えると輸出先で受け入れられるデザインにする必要もあったのでしょうけど。
メーカーによって影響受けた相手が違うと思いますよ。
例えばランドクルーザーは
打倒ランドローバーでしたし。
クラウンはどうですかね?
初代は51年辺りのシボレー
2代目は60年のフォードファルコン
3代目は64年のシボレー(インパラ)
で、この4代目は
ズバリ68年のサンダーバード
だと思います。
当時、世界中がアメリカ車の
デザインを取り入れてましたから、寧ろトレンドを取り入れたと判断して良いかと。
クラウンは2ドアクーペの
格好良さは今でも凄いと思います。ソアラの初代が発売された時、一部のマニアは
「古臭い」と評したと聞いてます。
自分が以前付きあった彼女がこのクジラ・クラウンがお気に入りでした✨
昔、大学に通っていたとき、この型のパンが信号で並んで、若い女の子二人組がニコニコしながら運転していたな。ポニテの女の子とクジラパンの組み合わせが妙にかっかにかっこよかったです。あの当時でも、平成に入ってたからね。すでに珍しい存在だったと思う。
デザインはいまでも通用すると思うが
さすがに中身は時代を感じます。
我々クラウンを売ってた側は当時はナマズでしたが、何時の頃からか、クジラに変ってましたね。よくカラードバンパーをメッキに出しましたね。2年目の車検時にバイパスホースを変えないとその年の夏にホースがパンクしオーバーヒートしました。
何故か私が住んでる地域はバンよりワゴンが売れる地域でした見栄も有るんでしょうね。
8:50
山村聡さん単独で前期末期
から再登板されてるぞ。
『やぁ、クラウンの山村です』
CMは山村総さんと吉永小百合版のイメージが強いが、田中浩、真屋順子版があったのが珍しかった😂🎉
懐かしいです。
この4代目クラウンで自動車運転教習を受けました。
確かに前後特に前角は見切りは無茶苦茶悪かったので、教習教官達はほぼ全員が見切りの仕方を懇切丁寧に教えてくれたのが思い出ですし、そのお陰で今でも見切りが楽に出来ていますね。
この車を教習所ではじめて目の当たりにした印象は「なんじゃこのウインカーの一段落としは…なんか垢抜けしないなぁ」と思ったことでしたよ。
こんばんは、横から失礼いたします。
先日亡くなった父が若かりし頃、当時勤めていた職場の偉い方を送迎するのにクジラクラウンと2代目マークⅡを運転していたそうなのですが、ボディの見切りが悪くて前端&後端を何度か擦ってしまい始末書を記した事があったと話していたのを思い出しました😅
僕が幼少期の頃、叔父が乗ってました(後期型の2000スーパーサルーン、コラムシフト)
M型6気筒キャブレター独特の排気音は、今でもハッキリ覚えてます。
「一度で良いから、ステアリングを握ってみたい!」1台です
子供の頃のタクシーのイメージですね
24秒に映ってる前期スーパーサルーンはオーバヒート対策した1972年製かな?
アメ車好きな自分には2ドア ハードトップはカッコいいと思う👍
少なくとも今見ると格好良い
当時のクルマ、今見るとダサいものばかりだが、これな今見ても良い
昔、就職して最初の会社の社用車がクジラクラウンのワゴンでした。運転すると直進性に問題がありフラフラ走るので運転して疲れました。
0:02 クジラガレージですね。
クジラの2ドアは80年代初頭には捨てるような車だったので、グラチャン族の間でこれを拾ってきてシャコタンにして屋根を切るのが流行った。フレーム構造だから、屋根を切ったところでちゃんと走るってのがベース車の強味だったのだろう。当時はその手の集まりがあればどこへ行ってもクジラのオープンがいたから、あれで少なからず台数は減った筈だ。
確かにデザインは良かったんですが?タクシー🚕は夏場になると前期型は、ボンネットキャチのロック🔐を外して浮かしてました。子供の時に乗った運転手さんがオーバーヒートがすごいのよ。って言ってました。なのでおじさんは、その前のスーパーDXを次の型が出るまで乗ってました。
四代目クラウン[通称くじら]は世間的には不評だったみたいやけど俺は其れこそクラウン[高級車]と思って居ます
子供の頃はセダンはカッコいいと思ってましたね。1度だけクジラのタクシーに乗った記憶があります。ミニカーも持っていたなぁ。
だけど重役を乗せたりタクシーが主な需要の車なのにオーバーヒート多発って…開発時の耐久試験もろくに行っていなかった訳で…、
今では考えられないほど当時のトヨタは雑だったんですね。
2代目コロナのどSCMを忘れたのでしょうか😅
クジラクラウンのトミカ、まだどっかに有った気が…σ(ಠ益ಠ;)
このモデルは竹野内豊が主演した素敵な選TAXIで使用していた。
このモデルは商業的には芳しくなく、ライバル230セドグロに凌駕されていましたが、
歴代モデルの中でも数多い新しい技術を盛り込み、カラードバンパーや現在のABSなど盛りだくさん。
刑事ドラマ「大空港」では、ライバル230とスタントで活躍。クジラクラウンの丈夫さを披露してましたね。
確か、日本で初めて尾灯とブレーキランプを独立させたテールランプ と自動式ラジオチューナー(運転席足元で操作する)、イグニッションキー抜き忘れ警告音を採用してましたね。
@@akirayuuki9100 夜になるとリアコンビライトの輪郭部分だけがテールライトとして長方形に光ってて、ちょっと不思議な感じがしましたね。
このクラウンのABSは後輪のみの簡易型で、本格的な4輪ABSは11年後にデビューして大ヒットした2代目プレリュードからの採用でしたね。
年月が経ってから再評価された車の元祖がクジラクラウンのような気がする
このクジラクラウン・カスタム格好いいんだよ。
リヤゲートが、1枚になったのが残念だったけど・・・
「次回はブタ?」ってケツなのかハナなのか?
次はブタケツローレルか
4代目クラウン、昭和49年式セダンが最初に買った車でした。もちろん中古で…
10年くらい前にドラマ「素敵な選TAXI」に登場した際はちょっと涙出た(´;ω;`)ウッ…
初代コースター、初代セリカと「ビルトインカラードバンパー」(セリカは正確にはOPでしたが‥) のデザインをクラウンにも持ち込み、カーデザインの主流になるかと思われましたが結果はご存じのとおり。むしろESV(実験安全車)を端緒とする衝撃吸収バンパーを突き出したデザインが身内の100系コロナやセリカLBで採用され、70年代はその流れが他社へも波及していくのでした。
クジラクラウン、個人的には大好きなんですが、タクシーに使われることを考えると全車カラードバンパーはやり過ぎでしたね。セリカも含め、衝撃吸収性のある樹脂でなく鉄製でぶつけるとボコボコになるのも不味かった。販売不振は、傷付きやすい、オーバーヒート、取り回し等スタイルそのものより他の要素が大きかった気がします。材料のことも考えると10年早かったのかも知れません
ド田舎は新型クラウンはまだ…見ない😅
僕にとってはクラウンといえば真っ先に目に浮かぶのはこのクジラクラウン。通学路の県道で、ちょうど国産乗用車の車種を言い当てるのが流行っていたころの時代。あと、太陽にほえろ!でよく出ていたので子供ごころに刷り込まれた印象が強い!乗ってる人はたいてい「社長さん」だと思ってたナ(笑)
カラードバンパー&メッキバンパーは、どう言う意味ですか?
トヨタが言う失敗って、台数的に結構レベルが高い所にあった上での失敗だよなぁって。
タクシーを含む法人需要も併せて290,000台/44ヶ月で約6600台/月、他社の平均的な車なら月3000台売れれば安泰って感じでしょうから、充分な売れ行きに感じます。
クジラ・・・好きなんだけどな?
クジラクラウンは確か、タレントのケンドーコバヤシが愛車として所有してなかったっけ?
私もそう聞いていますよ。ケンコバさんより3つ下の48歳です。
昔〜1996年にタイに旅行に行ったら〜前期のクジラクラウンが大量にいた~
売れないから〜押し付けた~?
鉄板製カラードバンパーについては、樹脂製のような柔軟性はないものの、凹んでも板金塗装すれば良く、あながち悪くはないと思います。
メッキバンパーの方が、そっくり交換するか、鈑金後、一旦メッキ工場に送って再メッキしなければならず、むしろ面倒かもしれません。
ボンネットが二段だったので見切りが悪く、タクシードライバーからは不評だったらしい。
「太陽にほえろ」でボスが乗ってた?
少なくとも今ならカッコイイと称賛されるデザインだと思う。
デザインの良し悪しと、そのデザインが受け入れられるか否は別の話で、だからこそデザインは難しい。
最近だとデリカミニがデザインの良さで売れているけど個人的にはekクロススペースだって負けていなかった、否むしろ後年に今から見るとekクロススペースの方がカッコ良くね?なんて言われる時代すらやって来るのではないかと思っている。
デザインは頑張っても成果が得られるか分からないのが辛いところ。だからスバルはエクステリアデザインを良くする事を放棄しちゃったし。
新型NBOXも後々評価されるような気はする。次は少しデザインの揺り戻しが起きるような気がする。(新型の販売次第では)
クジラクラウンは前期型が好きです。理由はわかりますが、マイナーチェンジでかっこよさが半減に。残念でした。
エラく売れてた気がする。タクシーも多かったし、かーなり見ました。
この代から姓がTOYOTAになりました
それまでは?
@@minami4513 TOYOPETでした。
@@NABE2023-i9d
ありがとうございました。
カラードバンパーの奔り
カスタムが一番格好いいんだけど、テールゲートが、ただの一枚の上ヒンジになったのが残念。
クラウンまでコストダウンする、トヨタの貧乏臭さ・・・
代々クラウンを乗り継いでいた亡き父もさすがに4代目クラウンには手を出さなかった。
法人需要は、どう言う意味ですか?
タクシー、ハイヤー、教習車、パトカーなどの個人所有以外の用途で業務メインの需要です。
カッコいいのはこのモデルまで。 後は欲しいとは思わない。
リアのデザインは良いと思うんだが、確かにフロントマスクがなぁ…
個人的には、一部で「世界一醜い車」とも言われるフィアット・ムルティプラにも通じる感じがした
ムルティプラも車の素性は割と評価が高かったけど、見た目の評価が最悪で全然売れなかったし、これも同じような感じなのかなと思った
4代目はミニカーを持っていた。 そしてモデルチェンジされた5代目を正直ダサいと感じた。
それはゼロクラウンまで変わらなかった。
黄色とオレンジのタクシー仕様が好きだった。コタツの中で遊ぶのが好きだった。(笑)コタツの中に置くと色が変わって綺麗だったから。
当時まだ子供やったけど
このクラウンは
ブサイクやったな